9才で1型糖尿病発症

9才の私と1型糖尿病の出会い

私はそれまで、普通の、ただの、小学三年生の女の子でした。三姉妹の次女で、クラスでも地味な子だったと思います。その夏、私の体に異変が現れました。

①とにかく疲れる

夏休み前。教室までの階段が、疲れて登れなくなり始めました。教室は2階。朝登校してから教室までたどり着くのがやっとでした。階段を登る足がとにかく重い。登りきったころには、ぜいぜいと息切れしていました。

②のどが渇く

尋常じゃないくらい常に水分を求めていました。休み時間になるとすぐに水道の蛇口から水を飲み続け、しばらく離れられませんでした。

③トイレが近くなる

トイレの回数も多くなりました。飲んでは出す、の繰り返し。しまいにはおねしょをしてしまうこともありました。9歳でおねしょ、というのは恥ずかしかったです。夢の中でもトイレに行っていたのです。

④体重が激減する

それまでぽっちゃり、むちむち体型だった私がみるみる痩せていきました。自分では嬉しかったものの、他の症状が辛かったです。夏休み明け、担任の先生の驚いた顔が忘れられません。さよちゃん、そんなに痩せちゃってどうしたの!?もちろん、私にだってわかりません。

初めて水泳大会の選手に選ばれる

そんな症状の中、体重が減り体が軽くなったことで記録が伸び、校内の水泳大会の選手に選ばれました。過去に運動会で活躍したこともなく、体育も苦手だったので、本当に嬉しかったです。毎日、水泳大会の練習が楽しみでした。ところが、変わっていく私に両親が何もしなかったわけはなく、病院へ行くことになりました。それは水泳大会当日でした。せめて午前中の大会が終わってからでも、と思いましたが、病院に連れ出されたことを覚えています。あの切なさは、20年経った今でも忘れられません。

小児クリニックで糖尿病と診断される

昔から風邪などで通っていた小児クリニックへ行き、そこで血液検査を受け糖尿病と診断されたはずです。私は医師と母のやりとりを見ているだけでした。すぐに総合病院へ紹介されました。

総合病院受診、即入院になる

1型糖尿病と診断され、入院とインスリン治療がスタートしました。小児病棟がない病院だったので、周りはおじいちゃんおばあちゃんばかり。孫のような小学生の女の子が入院しているので、悪く言えば好奇の目で見られ、よく言えばちやほやされました。特に看護師さんたちには可愛がってもらいました。空き時間にお絵かきや遊び相手をしてくれたり、用もないのにナースステーションの中で過ごしたりしました。今の私が手芸好きなのは、入院中に一人で過ごすことが多かったからかもしれません。手芸材料や色画用紙を両親に頼み、いつも何か作ったり描いたりして過ごしていました。

入院中は「とうにょうびょう」のお勉強

私の主治医はとても優しい男の先生で、糖尿病の専門医でした。その後、私が結婚し転院するまでお世話になることになります。先生は空き時間に病室に来て、私の病気について根気強く教えてくださいました。当時はちんぷんかんぷんでしたが。1型糖尿病についての子供向けの絵本も読みました。体重が戻り、辛い症状もなくなっていきましたが食前食後深夜の血糖測定とインスリン注射。まさか終わりのない治療になるなんて、深く考えていませんでした。

退院&インスリン自己注射の始まり

最初の入院は一ヶ月位だったと思います。退院が近づくにつれ、自己注射の指導が始まりました。初めの頃は、全て母にお任せでした。

今と違ってインスリンは瓶入り!

私が発症した頃は、赤いキャップの注射針、しかも針は極太!インスリンは瓶入りでした。インスリンの入った瓶のゴム部分をアルコール綿で拭き、針を刺す。必要単位を注射器に引き入れる。空気が入らないように出し入れを何度か繰り返す。目盛りちょうどになったら引き抜く。指で注射器を叩いて空気抜き。皮膚を消毒し、ブスリと刺す。ゆっくりインスリン注入。現在の極細針はチクッ、とかプスリ、といった感じですが、一昔前は完全にブスリ、でした。思い出しても、痛かった記憶があります。当時は二の腕の外側に刺していました。母が注射しやすい為です。自分で注射できるようになるまで、どのくらいかかったかは覚えていません。その後は太ももが多かった気がします。

今と違って血糖測定の針は、手動!

手動というと伝わりにくいですが、現在はボタンを押すとパチン、と針がバネの力で飛び出すタイプがほとんどです。強さも調節できます。昔は、2~3センチのただの針。深さは自分(看護師)次第なんです。当時はもっぱら耳たぶで血糖値を測っていました。さじ加減は針を刺す人次第なので、弱ければ血は出ないし、深ければ超痛いです。血液を出すのが目的ですが、やはり自分の体に針を刺すという行為は怖かったです。どうしても手加減してしまいます。数年後、血糖測定の針が飛び出し式になり、針が刺さる瞬間を見なくてすむ、自分で刺す感覚がない、強さを調節できる、ようになったことは重要なことでした。中学生の頃まで手動だった記憶があります。医療の進歩に感謝です。